hamaunagiのブログ

日々の出来事やニュースの中で、気になったことを気軽に書いていきますー

コロナ~円安・・・不安ばっかり(涙)

久しぶりの更新です。

 

大量のインプットがあると、アウトプットもしたくなり、しかも精度?的なものも高くなるのですが、最近はアカデミックな活動が少なかったこともあり、何となく1ヵ月以上も経過してしまいました。

定期的なアウトプットは自分を見つめなおす機会にもなるなぁと感じた次第です。

 

さて、前回の投稿をした後、8月半ばから家族全員がコロナにかかりましてドタバタでしたw

不幸中の幸いか、妻と私は2日違いでの発症となったのでお互いの発熱のピークがかぶることなく子供たちをケアできたことが少しは良かったと感じています。

私も妻も子供2人もワクチン接種をしていたおかげか後遺症もひどい肺炎にもならずに済みました。

最初の5日くらいは体に違和感を感じてあまり動けませんでしたが、それ以降はほぼ普段と同じ生活ができました。

注意したいのは私は医療ひっ迫の影響で病院に受診できておらず、バファリンで発熱を抑えたのですが、5日目以降に軽度の肺炎と思われる症状が出て結局、行きつけのクリニックで薬を大量にもらい、1回7錠という量を1週間服用しました。

ここ最近のコロナは治りが悪いらしいので医療機関の受診はした方がいいと思います。

 

家族全員で1週間以上同じ箱の中にいるとさすがに飽きてきて、不思議とこういう時はカードゲームとか古典的な遊びが盛り上がりました。私たち家族は「カタカナーシ」というカードゲームが子供たちに大うけでした(笑)

おもしろかったので興味ある方はやってみてはいかかでしょうか。(メーカーの手先ではありません)

終戦の日に思うこと

今日は終戦の日

日本の第二次世界大戦が終了した日である。

しかし、昔から”終戦記念日”と呼ぶのには抵抗があった。

終戦は喜ばしいことと思えるが、当時の惨状を鑑みると喜べることはほとんどないと言って差し支えないと思う。

焦土と化した国土や、物不足、近親者には必ず戦死者がいて、悲しみに包まれることの方が多かったと思う。

 

戦争は絶対にいやだ。

戦争の悲惨さは忘れてはならない。

しかし、戦争の残酷さを伝えていくのは難しくなっている。

昔はおじいちゃんやおばあちゃんから何気なく戦争の惨状を聞くことができた。戦争の話は私にとっては非現実だけれど、完全な非現実ではなく私の今につながっていると感じるものがあった。今の私が存在できているのはおじいちゃん、おばあちゃんが戦争を生き抜いてきた証だからだ。

 

言葉だけでは伝えきれないものがどうしてもある。

頭でわかっていても、心では理解できないことのように。

でも、伝えていかなければ風化してしまう。

伝えていくことでどこかの時点でその大切さが再認識されるときがきっとあると思う。

文句は非力、行動は力。

こんばんはー

めずらしく今日は最高気温も30℃を越えることなく、過ごしやすかったなと感じる1日でした。

連日、異常な高温と湿度が続いているので体調管理には気をつけたいですね。

 

先日、東洋経済オンラインを読んでいて非常に深いと感じた記事がありました。それは立川談志の弟子に対する諭しの言葉の記事でした。

 

toyokeizai.net

 

私は特に最後の一文が胸に刺さりました。今日の題名にもしていますが、「文句は非力、行動は力。」です。

まさにその通り!と共感するのと同時に自分への問いかけとして跳ね返ってきました。

果たして私は日々、どれくらい行動できているのだろうか?文句を言ってそれを言い訳にしていないのだろうか?と。

立川談志の経歴として不遇な弟子の期間があり、その経歴も彼のこの言葉に強みを与えていると感じます。

 

<一部抜粋>

「よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」

弟子に語った言葉どおり、談志は理不尽な真打ち昇進試験と考査基準に立ち向かっている。1983年、落語協会から脱退して、立川流を創設。家元制度を確立して自ら初代家元となり、自力で落語界を変革した。文句は非力、行動は力。

 

内容としては、かなりの現実主義だなと感じる一方、現実主義でないと根本的な問題は解決できないし、分析もできないという事実を提示しているなと思います。

特に、どんなに理不尽なことでも「現実は正解。事実なんだ。」と言い切ってしまうところは残酷だけれどもそれを克服するためには現実を直視し分析して、それを行動という力に変えていかなければ何も変わらないということを示しています。

 

理想と現実。

理想が無いと人生がつまらなくなってしまいますが、理想を現実化するためには理想からバックキャストして現在に対してどのようなアプローチをしなければならないのかをしっかり考えなければいけないことを厳しくも説いている記事でした。

私は彼の基準では「馬鹿なんだな」と感じたと同時に、少しでも・・・1ミリでも前に進める行動をとっていきたいと戒められた内容でした。

 

今日はつれづれに

久しぶりの投稿になります。

 

梅雨だったり、公私ともにドタバタしたりしてやる気が削られてました。

みなさんはスイッチの切り替えをどのようにしてますでしょうか?

 

自分の考え方や、やりたいことは周りの影響を受けないように育てたいというこだわりはあるものの、負の感情は計らずしもオーバーラップしてくる。

 

要領が悪いのは治らないとしても、上手くこなしていきたいと思う今日この頃です。

 

やる気が無くて何も手がつかないというのは、科学的には(学問的には?)やらないからやる気が出ないということみたいです。

行動を起こさないとやる気は出ないという構図みたいですね。

 

まぁ、なかなかそう上手くは行動できないし、気持ちもついてこないです。

 

喧騒をかき分けて自分が信じることをやり抜きたいですね。

がんばっている方々を見るとパワーが出てきます。

息子のなにげない一言

ある日、小学2年生になる次男坊が

「僕たち、なんのために生きてるのかなぁ」

ってなんか哲学的なことを聞いてきた。

 

最初に感じたのは、子供の成長ってすごいなって感じた。

こんなこと考えられるようになったんだなって。

子どもの頭の回路は知らないうちに親の想像を越えてくるんだなと。

 

次に思ったのは、なんて答えればいいのかなぁ。なんて言えばいいのかなぁと。

迷ってしまったのは、自分の中には「生」に対してある程度の考え方は確立しているつもりだけど、その考え方をいうことで子供の思考にバイアスを作りたくなかったというのと、その話は今の息子には必要ないのかもと考えたのが迷った点だった。

 

しかし、煙に巻くような

「生きていることによって、たくさんの友達を作ったり、おいしいものをたくさん食べれるよね」

っていう言い方もあったかもしれない。

 

でも、ちょっと違う気がした。

 

大きくは間違ってない気はするけど、(私の死生観ではちょっと違う気がする・・・)その発言ではせっかく感性が成長してきた息子に対する侮辱ではないかなとも感じたのだ。

 

結局、まじめに答えてみたが、息子は「ポカーン」としていた。(苦笑)

 

(私の死生観は、人間も動物と同じで自然の摂理の中で我々は生きているという考え方である)

 

息子にとっては気軽に聞いてみた的な要素が強かったんだろう。

 

まぁ、そうだな・・・と思いつつ、お父さんはそう思っているけど、難しい問題だからこれからいろいろな経験をして自分の考えをつくっていってね。

と話を締めた。

 

私が考えている想像の世界を、子どもたちが越えていく予兆を感じてなんかうれしくなった出来事だった。

リスキリングは是か非か?

リスキリングも含めた再教育は是か非か?

 

最近はリスキリングやリカレント教育が話題になることが多いですね。

私もリスキリングをしたので、その重要性やアカデミックな思考が実際の業務に新たな視点を多くもたらしてくれることを実感しています。

結論としては「大いに再教育したほうがいい!」ってことなんですが。

問題は世代によってその捉え方を変えないとせっかくの知識が活用できなくなってしまうという恐れを感じているからです。

 

20後半~30代前半のビジネスパーソンにとっては知識をつけ直す絶好の機会であり、キャリアアップのステップになり得ます。そして、そのような謳い文句が多くネット上でも出回っていますよね。

30代前半くらいまでの方々にとってはその通りだと思います。

 

しかし、アラフォー世代やアラフィフ世代などにとっては違う位置づけをしなければならないと感じているのです。

リスキリングをしたとしてもこの世代ではキャリアアップの要素とはなりにくいです。

年齢的なことや会社内での立場などを考えると自然とそのような帰結になってしまいますよね。

人生100年時代と言われるご時世なので、本音は今後の労働人口世代の推移を考えるとアラフォー世代は次のステップを踏む世代になるとも感じてはいるのですが・・・。

コロナ禍によって疲弊した企業にとっては、今はそこまで手を回す余裕がないというのが現状のようです。

 

45歳定年制導入を コロナ後の変革で―サントリー新浪氏:時事ドットコム

少し前に有名になった45歳定年変革の記事ですが、私がこの記事から感じたことは、顕著に日本の少子高齢化による労働年齢が上昇したことによる労働意識の変化と、イノベーションを起こせなくなている日本の企業風土へ一石を投じる発言であったと思います。

 

少し話題がそれたので元に戻すと、

年齢が高い世代のリスキリングは目標設定を明確にしておかないと、学びを活かせずに迷子になってしまいかねないという恐れがあることです。

(私は迷子になっていました・・・苦笑)

 

今後もリスキリング、リカレント教育といった再教育は盛んになっていくと思いますし、それが日本社会にもたらす恩恵は大きいです。

その中で、「何のために再教育をしたいのか?」や「私は何をしたいのか?」などの目的を熟考したうえでステップを踏み出すことが、個々人にとってより良い人生を歩んでいくための意義ある再教育になると感じていますし、今後、再教育に踏み出そうとする方々の参考にしてほしいです。

レブロン破産法申請で思うこと

梅雨の真っ只中で、寝苦しい日が続いて嫌な気分になっちゃいますね。

さて、先日のニュースですが米化粧品のレブロンが破産法申請したということです。

 

www.nikkei.com

 

男性の私からしてみたら「レブロンって・・・??」みたいな感じでしたが、なんと妻が使用している化粧品の中にレブロンが・・(苦笑)

 

弱肉強食のアメリカ経済の中ではこのような新陳代謝は当たり前のように感じますし、経営者を変えながらブランドは維持していくみたいな、ある意味たくましい生き残り戦術だなと感じます。(今回がどうなるかはわかりませんが)

 

また、有名かどうかや歴史があるないに関わらず、消費者の要望に答えられなくなると市場から排除されてしまうというアメリカ経済の残酷だが正直な消費者の反応も感じました。

しかしながら、消費者が特定のバイアスに引っ張られることなく正直な反応を示せていることはアメリカ経済の強みだなとも感じます。そのことが世界の中で経済大国として存在感を示せる要素にもなっているのかなと感じました。

 

経営戦略としての破産申請を選択肢にできるくらいの冷静さと大胆さを学んでみたいと感じた出来事でした。